今このように洪水が起きたり、台風の跡、そしてほかの国を見ても、まだまだ飢えて貧しい方がた、食べるものがない方がた、井戸もない方がた、そういう方たちに、
何かひとつでも探そうと思えば、できることを探そうと思えば、いくらでも自分の創意工夫と、少しばかり余ったお金をまわしてあげるだけでも、やれることはいくらでも無限大に出てくるということなのです。

お金を払えないのならば、優しい言葉で、励ましの手紙で多くの方がたを勇気づけることができるはずなのです。

そのようなあなたの一言で、ひょっとしたら、ほかの方が自殺するのを思いとどまられるかもしれない。

あなた方の持っている時間と、能力と、エネルギーで、
他者に対して無関心になるのではなくて、
具体的に身近にいる方がた、
そして、あなた方のできる手を今でも待っておられる方がたに、その手を差し伸べ、握り返してあげていただきたいのです。

そうでなければ、どれだけ愛を学んでおられたとしても、
あなた方がどれだけ霊言を聴いて賢くなられようとも、
社会はそんなものでは少しもよくはらないのです。

愛の循環の中に身を置くとは、
自分自体が学んで愛というものを頭に詰め込むことだけをもって、愛の循環の中にいることにはならないのです。
そのようなものは、結果的に自己保存の思いでしかないということなのです。

あなた方の中にある、
愛あふれる手を具体的に差し伸べ、社会に一歩でも踏み出て行ったときに、あなた方の愛というものは他者を生かし、
他者を救い、
他者を本来の神の子の姿に清め、
あなたの心から、
その方の神の子としての愛の炎を点火する、
キャンドルの火がひとつ点いていくことをもって、
愛のたいまつというものは輝かされ、
たいまつというものが掲げられた意味を持つのです。

行動なくして、具体的な人生の中における創意工夫、
他者への愛あふれる関心をもってしか、
あなた方は愛というたいまつに火を灯していくことはできないということ。

具体的な言動こそが必要であるということ。

聖母マリア「ファティマの真実」より