令和になって聖徳太子さんや奈良に関する番組を度々、目にしています。

聖徳太子さんについては不思議な人であり凄い人だなぁと思っています。

そして何よりも聖徳太子さんが厩戸で生まれたという事は、イエス・キリストが馬小屋で生まれた事と似ているのもあり興味深いです。

興味があると調べてみたくなるもの、

すると面白い記事を発見‼️

 

聖徳太子は日本の仏教の祖として知られている。

蘇我馬子とともに仏教に反対していた物部守屋を討ち、数々の仏教寺院を建立するなど仏教の導入と普及に努めたとされている。

聖徳太子は天皇家なのだが(なぜか天皇にならなかったが)、他の皇族と違って仏式で埋葬されている。

まったくもって仏教徒といえる。

その一方で、キリスト教の一派である景教徒であったともいわれている。

厩戸皇子という名前や冠位十二階など、キリスト教の影響があるとの指摘がある。

聖徳太子が10人の人の言葉を聞き分けたという逸話をイスラエルの十部族の象徴であり、太子がエフライム族であると解釈した。

これは天皇の王族としての血統から見た象徴であるが、 もうひとつ、厩戸皇子としての象徴がある。

つまり、聖徳太子をイエス・キリストに置き換えた場合である。

イエス・キリストが宣教を始める半年前に、バプテスマのヨハネが救い主のために道を備える預言者として宣教を始めていた。

ヨハネはレビ族であり、出エジプトでイスラエルの民を率いたモーセもレビ族である。

イエスが活動を開始したことで、ヨハネの弟子はイエスに従うようになっていった。

ヨハネはイエスのことを神の小羊と呼び、自分の弟子たちにイエスが自分よりも偉大な方であると話していたが、

それでもヨハネは投獄されるまで宣教を続けており弟子たちもいた。

このヨハネの行動の真意はよく分からないが、聖書にはこれ以上の情報がない。

ヨハネの宣教は投獄されたことで終わりを告げる。

その当時、イスラエルを治めていた領主ヘロデに逮捕、 処刑されたのである。

キリスト教はユダヤ教から派生したと言われているが、 この表現は正しくない。

まずユダヤ教という言い方だが、これはキリスト教があるためにそう呼ばれるようになったのである。

ユダヤ教はモーセの律法と言うのが正しい。

出エジプトの後、神はイスラエルの民(ユダヤ人)が守るべき律法を授けられた。

しかし、イスラエルの民が強情であったため、非常に厳格な律法を与えられた。

旧約聖書の出エジプト記から申命記までの4つの書には、その規定が事細かく記されている。

この4つの書に創世記を加えたものが、モーセ五書と呼ばれるものである。

このモーセ五書の律法がモーセの律法というわけである。

モーセの律法は、将来イエス・キリストが来られるまで イスラエルの民が守るべき戒めとなった。

そしてイエス・キリストが来られたら、モーセの律法は終了し、キリストの福音に従うことが預言されていた。

これはモーセの律法が目的を果たし、成就すると表現される。したがって、派生したわけではない。

これを聖徳太子と蘇我馬子と物部守屋の関係に、    そして神道と仏教の関係に当てはめてみる。

もともとあった神道国家であった日本に仏教が導入されたのは、一つは政治システムとしての採用である。

もう一つは信教の自由のためであったと思われる。

これらは当時の実際の歴史であると考えている。

実際の歴史に対して象徴にあたる部分が3人と宗教の関わりにある。

聖徳太子と蘇我馬子は物部守屋を討ち、守屋は仏教に帰依して死んだことになっている。

実におかしな表現である。

聖徳太子と蘇我馬子はキリストの象徴である。

物部守屋はレビ族であり、バプテスマのヨハネとなる。

バプテスマのヨハネはイエスの前に道を備え、処刑された。

そして、神道はイエスの前に道を備えるモーセの律法を表している。

神道に代わって仏教が導入されたということは、神道が別の宗教言い換えれば新しい律法に切り替わったことになる。

つまり、仏教がキリスト教を象徴しているのである。

私は、宗教や宗派に拘りはなく仏教も好きキリスト教も好き神道などなど、

それぞれに素晴らしい面があるので全部を

良いとこ取りチョイス❣️

今回の記事を読んで思ったのが学校で学んだ歴史だけでなく奥深く調べてみると学んでいた内容とは違ったりするけれど、自分の捉え方や感じ方でも違ってきて面白いなぁ。と思いながらこの記事を書いてました。