六根清浄
六根清浄祝詞をご存知でしょうか?
私は、数年前から知っていて今の世の中に相応しい祝詞ではないかと思っていました。
コロナ禍から解放されて不自由さから自由になっているのに
世の中のニュースやTVでは、事件や事故が多発しています。
心が乱れている若者、自制心が乱れている大人がいます。
それで先ずは一人一人の心身を清らかにするのに、六根清浄の祝詞を唱えるのに良いなぁと思って書きました。
六根清浄って仏教のように思えますが実は、神社でも使われている祝詞だそうです。
六根清浄には、、、
天照皇太神(あまてらすおおみかみ)から祝詞が始まります。
では、六根清浄とは⁈
欲や迷いを断ち切って、心身が清らかになること。
「六根」は私欲や煩悩、迷いを引き起こす目・耳・鼻・舌・身・意の六つの器官をいう。
「清浄」は煩悩や私欲から遠ざかり清らかで汚れがない境地、 六根浄ともいう。
六根から起こる欲望を断ち切って清らかになること。
一日一回、六根清浄祝詞を唱えてみませんか?
個人的には、朝から唱えると清々しい気持ちで一日を始められます。
また、気分が優れない、なんだか元気が出ない、
心身共に疲れたなぁ。と思ったり感じた時に御清めとして唱えられては如何でしょうか。
天照皇太神の宣はく
(あまてらすおおみかみのたまはく)
人は則ち 天下の神物なり
(ひとはすなわち あめがしたのみたまものなり)
須らく掌る静謐心は 則神明の本主たり
(すべからくしづまることをつかさどるこころは すなわち かみとかみとのもとのあるじたり)
心神を傷ましむること莫れ 是の故に
(わがたましいをいたましることなかれ このゆえに)
目に諸の不浄を見て 心に諸の不浄を見ず
(めにもろもろのふじょうをみて こころにもろもろのふじょうをみず)
耳に諸の不浄を聞きて 心に諸の不浄を聞かず
(みみにもろもろのふじょうをききて こころにもろもろのふじょうをきかず)
鼻に諸の不浄を嗅ぎて 心に諸の不浄を嗅がず
(はなにもろもろのふじょうをかぎて こころにもろもろのふじょうをかがず)
口に諸の不浄を言いて 心に諸の不浄を言わず
(くちにもろもろのふじょうをいいて こころにもろもろのふじょうをいわず)
身に諸の不浄を触れて 心に諸の不浄を触れず
(みにもろもろのふじょうをふれて こころにもろもろのふじょうをふれず)
意に諸の不浄を思ひて 心に諸の不浄を想はず
(こころにもろもろのふじょうをおもひて こころにもろもろのふじょうをおもはず)
此の時に清く潔き偈あり
(このときにきよくいさぎよきことあり)
諸の法は影と像の如し 清く潔ければ
(もろもろののりはかげとかたちのごとし きよくきよければ)
仮にも穢るること無し 説を取らば得べからず
(かりにもけがるることなし ことをとらばうべからず)
皆花よりぞ木実とは生る 我が身は則ち
(みなはなよりぞこのみとはなる わがみはすなわち)
六根清浄なり
(ろくこんしょうじょうなり)六根清浄なるが故に 五臓の神君安寧なり
(ろくこんしょうじょうなるがゆえに ごぞうのしんくんあんねいなり)
五臓の神君安寧なるが故に 天地の神と同根なり
(ごぞうのしんくんあんねいなるがゆえに てんちのかみとどうこんなり)
天地の神と同根なるが故に 万物の霊と同体なり
(てんちのかみとどうこんなるがゆえに ばんぶつのれいとどうたいなり)
万物の霊と同体なるが故に
(ばんぶつのれいとどうたいなるがゆえに)
為す所の願いとして 成就せずといふことなし
(なすところのねがいとして じょうじゅせずということなし)
無上霊宝 神道加持
(むじょうれいほう しんどうかじ)