学校に行きたくない

子供の気持ち

私は、幼少時に幼稚園に行かずに母や弟と家で勉強したりして過ごしていました。

母は、霊感があり霊体験の話し観音菩薩様の話しや龍の話しなど不思議な話しを良くしてくれていました。

その影響のせいか不思議な事が大好きで小学校に入ってからも勉強よりも空想の世界にいて成績もあまり良いとは言えませんでした。(笑)

私は、子供の頃に好き嫌いが激しくて牛乳や乳製品、野菜なども嫌いでした。

給食時間が何よりも恐怖で全部、食べないと5時間目も後ろの席でずっと食べるまで放って置かれていました。

退職前の女の先生だったのですが当時、暴力教師の噂がありました。

その人が担任であった事もあり、 毎日のように頭を打たれたり怒鳴られたりしていました。 大きな三角定規で殴られた事もありました。

それが嫌で子供の浅はかな悪知恵でゴミ箱に牛乳を隠してバターなどの乳製品は、エプロンのポケットや上靴入れに入れていたので、、、

エプロンや上靴入れは、乳製品の匂いがして気持ち悪かったのを覚えています。

ある日、ゴミ箱に隠していた牛乳瓶が見つかり担任は、直ぐに私と分かって、かなり頭を叩かれて泣いたのを覚えています。

家に帰っても誰にも言えず、、、 朝になると泣いて学校に行きたくと母に訴えると今度は、母から怒られ打たれるという目にあい。

泣く泣く学校に行くも担任からも日々、怒られたり殴られたり

毎朝、泣いて学校に行かないというので母も一緒に学校へ付いてくるようになりました。

だからといって状況は、何も変わらないのです。

いつものように朝から学校に行かないが1カ月程続いたことを母に聞かされました。

中々、担任からの暴力を母に言えなかったようなのです。

同級生に母が聞いて牛乳を飲めずに隠した事が原因だと知り母は、担任に話しに行ったようでした。

毎日、母や弟と学校に行きお昼休みまで母と弟は、教室付近で見届けてくれていました。

教室の窓から母と弟を見ると安心していました。

だけど二人の姿が見えなくなると担任が皆んなの前で、、、

「○○は、幼稚園生じゃああるまいし母と弟と学校に来て赤ちゃんと同じ」と罵って笑い者にされていました。

泣き虫だった私は、注射も苦手でインフルエンザや日本脳炎の注射の時も良く泣いていたので、、、

担任から「小学生にもなって注射くらいで○○(苗字を呼び捨て)泣くなよ!泣いたら殴るぞ!」と暴言を吐かれて、、、

結局は、痛くて泣いた(笑)のです。

この担任のイジメは、暴力だけでなくカンニング扱いまでされました。

計算大会前に練習をさせられた時の事、仲良しの男の子と隣同士の席で、たまたま同じ問題を間違えていたのです。

担任は、 「オマエは、カンニングしただろう!」って計算大会の前に席替えをさせられた事を思い出しました。

もちろんカンニングなどするハズもなく男の子は、先生にそんな事してないょ!って言ってくれていたのですが、かばっているだけだと思ったようでした。

計算大会で100点を取ると教室に張り出されるのに私のだけカンニングだと貼って貰えない事もありました。

すべての原因は、牛乳が飲めずに隠した事で叩かれて学校へ行きたくないと泣いて言い出した事により母から抗議された事への当てつけでした。

小学二年間は、担任の暴力や暴言で不運な時期を過ごし学校が大嫌いでした。

三年生、四年生では担任が変わり暴力や暴言に合う事は、なかったのですが家庭環境が悪くなり父が入退院を繰り返し母が生計を立てるのに必死なので弟達の面倒を見たり家事もすることになったり、、、

母が暴言や暴力的になっていて笑う事もなく恐怖と孤独な時期でした。

唯一の救いは、空想の世界に入っている事、授業中も指や鉛筆で遊んだり廃墟の校舎に一人で目に見えないお友達と話して遊んだり、、、

小学校の思い出は、一番暗くて悲しい思い出ばかりが出てきます。

今、学校に行かなくてもいいんだよ!とか言うユーチューブがあるようですが、、、 ※宿題をやりたくないから学校に行かない?という放送をされていました。

それも自由と言えば自由かもしれませんが、、、

私は、母親が学校に行く為の道筋を示してくれました。

決して学校を好きにはなれず小学六年生になって、やっと友達になれたのに邪魔する同級生が現れて何するも一人ぼっちで一緒に組んで勉強する時とか誰も構ってくれず悲しかった事もありました。

まぁ、何とか乗り越えたから卒業しているんだろうけれど、、、 今思うと良く頑張った私っ😊💕

イジメられるのも学びで弱さを強さに変えられる!と私は、思います。

暴力や暴言は、良いとは言えませんよ!私もかなり叩かれてました。

担任の先生は、太っていて手が大きくて分厚かった。

※母の手の2倍はあったかもゴリラのような手だったのを覚えています😁

ガリガリ痩せていた私をあんな大きな手で叩くとは、、、

兎にも角にも母には、感謝しています。

ちょうど5月の終わりに学校が終わる頃に母と弟が迎えに来てくれていて一緒に帰るのが、とても嬉しかったのを思い出します。

母が「学校どうだった?先生から怒られんだったね?」って聞いてくるので、、、

「今日は、怒られんかった。」 母が「良かったね。」って言ってくれると嬉しくてスキップしてた(笑)

いつしか私は、一人で学校にも行けて帰りも鼻歌を歌いながら帰ってきていたのを母が喜んでくれた事も思い出します。

大人になり、、、 熊本地震が起きて小学校に避難生活を送ることになりました。

小学生の頃の思い出は、悲しくて辛い事ばかりでトラウマでもありました。どうしても思い出してしまう。

避難所での生活は、校長先生や先生方のご配慮で快適であり安心でありと感謝の毎日でした。

当時の先生方は、勿論いらっしゃらなかったですが、、、

避難生活でトラウトから良き思い出に変わりました。

今なら学校給食を美味しく食べれるのになぁ😊 ※牛乳は、未だに飲めません。

学校に行きたくない子供の気持ちも良く分かります。

死にたいくらいに行きたくなければ行かなくていいと思います。

私も死んだら学校に行かなくて良いかなぁと六年生の時に思いましたが死に方が(笑)分からなかったので出来なかった。

それに母が子供の頃に良く言ってたのは、、、

「死んだらお母さんに会いたいと思っても二度と会えないからね!」って言ってたのを覚えていたせいか、

死んだらお母さんや弟達と会えなくてなると思うと死ねないんですよね。

担任の先生や顧問の先生、同級生のイジメは、確かに恐怖です。

子供心に両親に心配をかけたくないと思うと誰にも助けを求める事が出来ずに死ぬ事を思ってしまう。

だけど死んだらダメだよ! 学校に行かなくても良いから死んだりしないで、、、

その為には、両親は子供の気持ちに気付いてあげて欲しい。

日々が忙しくて余裕がないかもしれませんが、、、

小さなサインを見逃さないで! 助けてあげれるのは両親しかありません。

私も母の愛で小学校一年生にして登校拒否から助けてもらいました。

単に学校に行かせないだけでなく、担任や校長やPTAなどでも話し合いの場を設けたりする事も考えてみて下さい。

大切な子供達の未来のためにも 親が大人が道筋を示してあげてください。