私が生まれてくるには、両親がいて両親の祖父母がいて沢山の先祖がいるからこそ魂が宿る場所が出来ている。

そして、生まれて来た課題や目的やカルマの解消も身を持って経験する事が今こうして出来ているんだなぁ。

そんな事をしみじみ感じる日々です。

母とは幼少期から39歳までは、凄く仲が悪くて母に本音で話す事もなかった。とても厳しくて忍耐や我慢する事を常に強いられて何でも母の言う通りでした。成人しても3年間は、生活費を入れる事、結婚しなかったら同じく生活費を入れるのは、当たり前でした。

社会人になり成人式の着物を見に行く日も母には悲しい思いをさせられました。体調が悪いからとドタキャン。母の伯母と従姉妹と選んで貰いなっせ!専門の人もいるでしょう!と言われて大事な時だったのに、、

母は、全然悪びれてもおらず未だに成人式の着物の選び方は、アンタ下手だったね。

はーーっ!!お母さんがドタキャンしたせいじゃあない!って言ってしまうも

「専門の人がいるとに、その人も下手たい。アンタに似合っとらん。」

もう今更、遅いよ!あの日には戻れないんだから、、、

それから月日は流れ私は、仕事場では、イジメに合う事が度々あり転職の繰り返し旅行にも何年も一緒に行ってた友達からは誹謗中傷されたり結局、人を信じられなくなり孤独な日々を精神世界の本を読むことで生きる希望を持っていました。

40歳の時に絶望を味わうことが起きて心底、生きるのが嫌になり死ぬことばかり考えていました。 その当時は、仕事、借金、恋愛、病気など悩みだらけで死ねば保険金で借金も払えるし家族には迷惑を掛けずに済むなぁ。。 そんな計画ばかり考えていたのです。

借金があるなんて母に言ったらどうなるだろう。変な男にお金でも貢いんだんじゃあないの!って罵られるだろうなぁ。。

そんな時に目にしたヒーラーさんの記事に最後の最後これでダメならと決意してセッションを受けて相談したことで気持ちがラクになりました。ただ病気の事だけは言えなかった。

ヒーラー さんは、 「あなたのお父さんは、あなたを理解しようとは絶対にしないから相談するならば、お母さんに打ち明けて見るべきょ。」と何度も言われて、

やっとの思いで全てを母に打ち明けると、、、 「借金の事は、何となく気づいとった。どうしてもっと早く言わんかった!どやんかなるけん大丈夫。」 と言われて初めて母の愛を感じる事ができました。 ただ病気の事は、言えなかった。 絶対に悲しむし自分を責めて苦しむから、、、

病気の事だけでも正直、怖くて仕方なかった。誰か助けて泣き続けていた時に不思議な光に包まれていたのを覚えています。あとに分かったのは、天使達の光でした。

その光を見た後に最後の最後だと思って相談したのがヒーラーさんでした。

現在では母は、私の良き理解者であり仲良し親子として近所の人から羨ましがられるほどです😊

母との課題は、40歳で完全クリア出来ました

  しかし、父との葛藤こそが大きな課題であり行く道を阻む大きな巨大岩石でした。

私が小学生になるまでは、父親が大好きでした。優しいお父さんで仕事帰りに必ずお菓子を買って来てくれて不二家の大きな袋に沢山のお菓子が入っていました。小学生になり6年間は、運動会で新しい靴を買って来てくれるのも懐かしい思い出です。

でも運動会で新しい靴は、足にマメが出来て結果的に3位内に入れない6年生最後にやっと3位だった記憶があります。

そんな父が怖い存在になった記憶は、小学生4年生の時に父が鬱になり言動がとても怖くて子供ながらに「お父さん違う人みたい。大丈夫なのかなぁ。」と目を見るのも怖くて心配しては怖さと悲しさで良く泣いていました。 それを境に入退院を繰り返し父と遊んだりした記憶があまりありません。

夫婦喧嘩も激しく物が飛び罵声を浴びていたので身動きが出来ないほど怖がっていました。長女であった私は、何かにつけて母から怒りの矛先を向けられていました。 どちらかというと子供の頃は、ガリガリに痩せて目も細かった私は、父に顔も似ていたのもあって、、

「アンタのそういう態度は、お父さんにソックリね!」と言われる度に子供心に嫌な思いをしていました。

その当時に起きた事が嫌な記憶として残っていると時折、母に話します。

「そやん事は、無かったょ!子供だったかん勘違いしとるとょ。」と言われました。子供はちゃんと覚えています(笑)

しつこく母に「私の子供時代は、悲惨だった。アンタは、お父さんにソックリと言われる度に好きで、この顔になったんじゃあない!って思いよったとょ」

母「だって親子だけん仕方ないたい。血液もお父さんと同じだけん似てるのが当たり前たい!あんたが一番知ってるでしょう。お父さんが病気ばかりするけん。私が一人で働いて子供も育てよったとだけん余裕がなかったとたい。仕方がなかったとよ!」

そう仕方がない。 母が33歳の時に3歳、8歳、10歳の子供を育てる為に肉体労働の仕事を行ないながら父の病院にも頻繁に行ったり親戚縁者には責め立てられたり地獄のような日々だったと思う。

当時の私は、母から厳しく躾けられて、お手伝いするのは当たり前、弟の面倒を見るのも当たり前、欲しい物を我慢するのも当たり前で我慢ばかりさせられていたので怖くて大嫌いなお母さんで本当のお母さんなのか?と疑うほどでした。

心から感謝する気持ちになれたのは、この仕事を始めてからです。

父の運の悪さは更に続いていきます。私が中学一年生の時に交通事故で重症を負い頭蓋骨に12センチのヒビが入り完治に時間がかかりました。

事故の復帰を果たすも転職の繰り返し母が言うにはボーナス前に必ず勝手に辞めて来てボーナスを貰った試しがない生活も厳しい状態でした。

私が30歳の年にトラウマになるような出来事が起きました。 父が自ら生死を彷徨う自虐行為を起こしたのです。

その日は、地獄を見るような体験で母と私はあまりのショックに何をどうしたか思い出せないほどでした。 思い出したくない程の恐怖を目の当たりにしたのです。

それだけではなく父を追い詰めた原因が私と母のせいに弟達や親戚に思われていました。また父もそのような言動を繰り返していたのもあり病室に入っても無視される事もありました。

数ヶ月の入院生活後に仕事復帰するも精神的に不安定な状態が見え隠れしていました。

当時の私は、派遣社員の仕事だった為に金銭的にも安定せず少ない給与から生活費を入れて僅かなお金しか残らず一人暮らししたくとも預金も無く掛け持ちのバイトも出来ず派遣期間が終わるとキャッシングをしながら生活費を入れるの繰り返しで借金も増えていきました。

そんな生活で父との同居は心が休まるどころか神経を逆なでされる日々で、、、

「おまえは、いくらお金を入れて威張っているとか!そんくらいのお金でシャバ(世間)で通用すると思うとるとか!早よー出て行け!目障り。」

顔を合わせては、愚痴愚痴と文句を言われたり夫婦喧嘩も相変わらず激しく行き場も無く耐えるしかありませんでした。

私が40歳の時に死ぬことばかり考えていた時に、これで最後だと思って相談したヒーラー さんとの出会いから母に沢山の悩みを打ち明ける事も出来て光の道を歩んで行くように勧められた事を母にも話すと理解してくれた事もあって41歳から副業としてヒーラー の仕事を始めていきました。

そして43歳の時、、、

父の鬱が再発するも自宅療養となり当時の私はヒーラーとして副業を行なっていたのでレイキヒーリングを勧めるも頑なに拒否され薬で治すと完全無視されていました。

年齢的な面もあり益々、頑固になり特に薬を飲んでアルコールも飲む為に感情の起伏が激しく母もストレスで入院生活を数回繰り返すようになり私自身も心身共に疲れていました。

私がスピリチュアルな世界へと学びを深めれば深めるほど父との関係性は悪くなるばかりで何故こんな風に互いを認め合えず憎しみさえ感じてしまうのだろうかと辛く悲しかった。

だけど私にとっては、スピリチュアルな世界が心の救いであったので、学ぶ事をやめてしまったら生きる意味が無くなってしまう。

父との関係性が最悪な状態は、苦難と苦痛でもあったけれど早く独り立ちするしかない!と思うようになりました。

父の言動は、更なる悲劇を起こしました。 2016年の元旦に兄弟や甥っ子、姪っ子が全員揃って楽しみにしていた時に長男のお嫁さんの事や甥っ子のファッションや礼儀作法がなっとらん!と愚痴った事で長男と大喧嘩になり次男の姪っ子や甥っ子は、恐怖で泣き出し義妹(長男の嫁)は、半狂乱となり数時間もの間、喧嘩が止まらない状態で災厄な元旦となったのです。

それから数年は、長男だけが元旦に来るだけで義妹も成人した甥っ子や姪っ子は来なくなり絶縁状態でした。

その年は、熊本地震もあり家族3人で小学校に避難するも父の隣で眠るのもストレスとなり不平不満や人の悪口や文句ばかり言う事にもウンザリでした。

※今年は、私と母の願いが叶って元旦に長男の義妹が3年振りに来てくれました。その日だけは絶対に大人しくしてよね!って父に再三お願いした事で穏便に過ごせたお正月でした。内心ホッとしました。

熊本地震の避難先から自宅に戻っても父の悪態は、変わらずで心身共に母も疲れていました。 自分では、どうにも解決が出来ずに色んなヒーラーさんや聖者さんに助言を求めました。

2016年インドの聖者サイマーさんの二度目のワークショップに参加した時に質問する時間があり人前で話す事や相談するというのが苦手だったのですが、その時に何故かしら勇気を出して手を挙げる事が出来たのです。

そして私は父との葛藤について話すと、、、

「あなたのお父さんは、唯一あなたが転生する為に名乗りをあげてくれた人です。他の誰も名乗り出てくれなかったのです。それを知れば、あなたは、お父さんに感謝したくなりませんか?無理に好きになる必要は、ありません。嫌いで良いのです。ただ感謝する事を忘れないように」

その言葉に涙が止まらなくなりました。その日は、父に対して感謝の気持ちでいられました。

毎日、顔を見合わせて一緒に居る時間も多く母に対する言動や私への言動を含めて耐え難い事がやはり起きる度にいがみ合っていました。

 

そして、、、

2018年の9月9日の事 父が少し弱気になり始めていました。 父の鬱は、かなり治ってきたものの事故や自虐行為による後遺症が出ているようで目眩・フラつき・生あくび・気分が落ち込むなど自律神経の不調も含めて度々起きていました。

いつもなら安定剤を飲めば治ると思い込んでいたようですが何度となく父に「安定剤は、副作用が出てきて脳に異常を引き起こすしアルコールを飲んで摂取すると脳がやられるよ!」

父は、「俺はお前の話しなど一切信じらん!ヒーリングとか訳の分からん宗教など信じらん。俺には効くはずがなか。俺を治せたら大したもんたい!地球がひっくり返っも治らん。お前の先生でも俺を治せだった。何も変わらんとだけん。お前に出来るはずがなか。」

そんな悪態を繰り返していたので直接的に私に頼む事が出来なかったのでしょう。

昨年は、私が聖地セッションで数日間出掛ける事もあったので母から何度も頼まれて渋々コッソリ遠隔で行なっていました。

母からの報告では、目眩やフラつきも治っているようで元気になっているょ。と電話で聞いて正直ビックリしてました。あんなに信じてなかった人に効果が出るとは、、、

そして今年8月30日新月の朝

驚く事がありました。というより奇跡です。私や母にとっては地球がひっくり返えるほどでした。

次回に続く、、、

 

ゴッドヒーリング

病気だけでなく心も変容をもたらす!

https://miracle7angel.hatenablog.com/entry/2019/08/04/%E7%97%85%E3%81%AF%E3%80%81%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%AB%E6%B0%97%E3%81%A5%E3%81%8D%E3%82%92%E4%B8%8E%E3%81%88%E3%82%8B%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B9

アウェイク二ングメソッド

幼少期のトラウマ・自己卑下・自己否定から人格統合へ、、、

https://miracle7angel.hatenablog.com/entry/2019/08/27/%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AE%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E4%BD%95%E4%BA%BA%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%AE%EF%BC%9F