弟子たちは、イエスに近寄って、

「なぜ、あの人達にはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。

イエスは、お答えになった。

「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、

あの人達には許されていないからである。

持っている人は更に与えられ豊かになるが、

持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。

だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。

ても見ず、聞いても聞かず、

理解できないからである。

イザヤの預言は、彼らによって実現した。

『あなたたちは、聞くには聞くが、

決して理解せず、

見るには見るが、

決して認めない。

この民の心は鈍り、耳は遠くなり、

目は閉じてしまった。

こうして、彼らは目で見ることなく、

耳で聞くことなく、心で理解せず、

悔い改めない。

わたしは、彼らを癒さない。』

しかし、

あなたがたの目は見ているから幸いだ。

あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。

はっきり言っておく。

多くの預言者や正しい人たちは、

あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、

あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」

マタイ福音書13.10 

聖書を読む前に直感に従って見開きますとピッタリな言葉を目にします。

それを見て感じて、これは伝えよう‼️とブログに書く事が時折あります。

イエス様もそうですがお釈迦様もたとえ話しを用いて弟子たちに説かれていました。

たとえ話しが理解しやすいのは確かだと思います。ただ頭の中では理解はしたようで

心では理解できない。

何度も何度も同じような、

たとえ話しを見ても聞いても心に残らず。

持っている人は、更に豊かになり

持たない人は、持っているものまで無くしてしまう。

本当にそうだわぁ。と頷いてしまう。

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